江東区の文化発信基地!まちあるきの拠点、深川東京モダン館 | 門前仲町 2024年5月18日 モダン館って、どういう施設なの? 深川東京モダン館は「旧東京市深川食堂」とも称され、もともとは関東大震災の復興建築として昭和7年に建てられた東京市設公営食堂の内のひとつでした。 当時はシンプルな定食をはじめとし、ローストビーフや親子丼などの嗜好品も提供していたそう。 (ちなみにローストビーフが日本でも食べられるようになったのは、150年以上も前なんですって…!) さて、そんな深川食堂ですが、その後第二次世界大戦の空襲や解体危機も乗り越え、現代に残る昭和初期の近代建築として評価を受け2008年に国登録の有形文化財(建造物)として認定されました。 その翌年より、江東区の観光文化拠点「深川東京モダン館」として新たなスタートを切りました! さっそく館内に潜入! 玄関を入ると、案内所の名の通り沢山の掲示物が! 館内を1人でうろうろとしていると、法被を羽織ったガイドさんらしき方がいらしたので声を掛けてみました。 すると、建物の歴史について説明をしてくださるとのこと。 丁寧にご案内をしてくれている最中に、深川の歴史に精通したガイドさんが戻ってきて「せっかくなら」とバトンタッチをしてくださいました…! はじめは細部まで館内ツアー! 言われるまで気が付きませんでしたが、館内の造形がかなり独特で「これが当時の建築デザインなのか」と新しい視点を得て感動しました。 入口付近の階段は創業当初からそのままのモザイクタイルを使用しており、現代ではまったく同じように再現ができないとのこと。所々過去に修繕を試みた跡がありましたが、当時のデザインに近づけることは難しく、修繕箇所は明るく光沢を帯びていました。しかしそれも、歴史と現代を同時に感じられる貴重な空間に感じました! 階段を上がったところに、なにやら牛乳瓶が。 なんとこちらは建物の改装工事の際に、土の中から発見されたのだそう! 瓶には「快進舎」と製造元が表記されているものの詳しい情報が何も残っておらず、未だ謎が残されています。 他にも、江東区佐賀にあった近代建築の建物「村林ビル」の一部が展示されていました。 どれも昭和レトロを感じるデザインですよね~! 深川の歴史を知ろう ここからは私が学んだ深川の歴史について、皆さまにシェアいたします! 深川の地で暮らしていたり、働いている方たちにはきっと為になると思います! 時を遡ること1603年。徳川家康が江戸幕府を開いた当時、江戸は湿地帯で葦(アシ)という植物が生い茂っており住むには適さない場所でした。 それからライフラインを整えるために始めたのが、川をつくること。 小名木川から始まりどんどんと広がってゆき、広範囲にわたって船で物資を運ぶことができるようになりました。 海に比べて川は座礁の危険が低く、安全で効率的に物資を運べるようになったことで深川の地は栄え、工場地帯に発展していきました。(深川エリアに川が多いのにはこんな理由があったんですね~) しかし工場地帯が攻撃の的となり空襲を受けたり、工場を再建するも環境汚染が深刻化したりと問題が尽きませんでした…。 挙句には工場で大量に水を汲み上げたことにより地盤がさがり、他の土地との高低差により洪水にも見舞われました。 (雨が降ると高さのある地域から低い方へと沢山の水が流れて溢れてしまったんですね。深川エリアは海抜が低い理由としてこんな歴史的背景があっただなんて、驚きでした。) それからは水害を避けるため「荒川放水路」と呼ばれる人工の川や水門がつくられ、町の安全は守られてきました。 今回は“学び”に焦点を当てた記事になりました。 少し難しい話が続きましたが、自分自身今回の取材を経て大人になってから歴史を学ぶことの楽しさに気づかされました。 皆さまにも是非、現地で体感していただきたいです! 驚くことに、こちらの歴史ガイドは無料で受けられるんです…!…続きを読む